最近、いかに心穏やかに生きるかに興味があって、

仏教の合理的な考え方にはまって本を読んで学んでいます。

上の本の中で、辛い時に、

「これだけ頭のなかで唱えれば良い」

という魔法のコトバが書かれていました。

それは、

「私は、私を肯定する。」。

これだけです。

最近、辛い時はよくこの言葉を頭の中で唱えています。

そうすると、すーっと気持ちが楽になってきます。

辛くさせているのは、自分だった

理不尽なことをいう人がいる、

人としてどうかと思う人がいる、

どうしても気の合わない人がいる・・

といった対人的な悩みはもちろん、自分の内面の悩みも尽きません。

失敗したらどうしよう

こんなことやって馬鹿にされたらどうしよう

私ってほんとだめだなあ・・

しょっちゅう、私も考えていました。

しかし、実際はどうでしょう。

失敗して怒鳴り込んでくる人もいなければ、

あからさまに自分を馬鹿にする人もいないし、

自分のことを「ダメだ」という人もいません。

案外、周りの人は自分に興味を持っていないし、大目に見てくれるものなんですよね。

結局の所、いまを生きる多くの人の悩みの原因が、

「自分の妄想、思い込み」

であることは多いのではないでしょうか。

自分を追い込まず、ただ肯定する

なにか厳しい現実に直面したとき、つい私たちはその現実に対して

自分を妄想に基づいて無理やり「評価」しがちです。

「もっと自分はできるはず」

「こんな自分、情けない」

などと。

怒りや悔しさを原動力にする、といった「反応(感情)を利用する」

ことは否定しませんが、それだとずっと「流される」状態になり

結局辛さ、不安は消えないんじゃないかなって思っています。

何よりも自分が自分を肯定できなければ、すべて外部に依存して流されっぱなしの人生になります。

そこで、

自分の「こうあるべきだ」といった感情を挟む前に、

まずは無意味な評価をせず自分で自分を肯定することをしてみると全然違います。

「私は泣いている私を肯定する」と唱えてみた

ここ最近私自身も、自分の不甲斐なさで感情が溢れ、ひとりで泣き出す

(もちろん部屋に一人のときです!)ことがあって、つい

「ああ、なんでいつも私はこうなんだ」

と思ってしまいそうなところを、

「私は泣いている」

「私は泣いている自分を肯定する」

とただ現実を直視し、一切の感情を挟まずに泣いている自分を肯定しました。

そうすることによってだんだん冷静になってきて、

自分を客観視できるようになりました。

もうひとりの自分が自分を眺めているような。

これができればもう苦しみません。

私もその後「何泣いてんだろうな」と滑稽な気持ちになってきました笑。

余計な反応(感情)は自分にとって、意味のない評価を自分に下しがちです。

そういったものが出てきそうになったら魔法のことば、

「私は私を肯定する」

を唱えてみてください。

きっと楽になります。

まとめ

辛いときに、自分を楽にする魔法のコトバ、

「私は私を肯定する」

を紹介しました。

「自信がなくて・・」

「ほんとに自分はダメで・・」

は妄想。(「自分は誰よりもできる!」ももちろん妄想です)

妄想に一喜一憂するくらいだったら

まずは一切の反応(感情)、評価を排除して、自分で自分を肯定してみることから始めてみませんか。

編集後記

昨日は図解を交えた雑誌記事の執筆を中心にしました。なんとか終わりそう。

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