「お客様」に囚われすぎない
10/152024
カテゴリー:人間関係
最近、「お客様」という言葉に囚われすぎないほうが良いような気がしています。
今日はそんなモヤッとした気持ちを書いてみます。
「お客様」に少しモヤモヤしている方の参考になれば幸いです。
どっちがお客様なのかわからない
この資本主義社会では、
「お金を払う人=お客様」
「お金をもらう人=サービス提供側」
とぱっきり分ける考え方が主流です。
確かに、飲食店に入ってお金を払ったのに
「ちょっと厨房手伝ってよ」
と言われることはまずないですよね。
ただ、最近
「どちらかがお客様、どちらかがサービス提供側」
とぱきっと割れないケースがあって、新鮮な気持ちでいます。
例えば、私は税理士として主に中小企業の社長に向けてお仕事をしているのですが、
たまに社長からアドバイスを受けて、助けてもらえることがあるんですよね。
資本主義的に考えれば、お金もらって助けてもらえるとかおかしいんでしょうけど。
また、以前個別相談をしてくださった方が
今はコミュニティメンバーとして盛り上げてくださっていたり。
サービスを提供する側、受ける側と
ぱっきり割れない関係が慣れてなくて少し変な気持ちになるのですが
なんだか心地よかったりします。
「お客様」でいることの弊害
最近、コミュニティを始めたり、参加したりしているのも関係があるのかもしれません。
コミュニティって、実は純粋な「お客様」という概念がないんですよね。
例えば私は読書好きの人が集まるflier book laboというコミュニティに月額会費を払って参加しているのですが、待っていても何か起きるわけではありません。
「お客様」として何か期待して入っても、自発的に「何かを得よう」と行動しなければ何も得られない。それがコミュニティだと思っています。
というわけで私も頑張って自発的にメンバーと絡んだり、勉強会に参加して行動することによって、人間関係が広がり、楽しい活動ができています。
思うに、この「自発性」は、「お客様」でいることに慣れきってしまっていると衰えてしまうんじゃないかな、と思っています。お金払って、何かをしてくれる関係に私達は慣れきってしまっていると思うんですよね。ちょっとしたことで感情的なコメントをお店やサービスに残すとか。単なる交換なのに。
でも、本当に価値あるものは自分で行動しない限り得られないんですよね。なにかしてもらって当たり前の「お客様」でいることの弊害はこの自発性の喪失にあると思います。
与え、与えられの関係が心地よい。サービスを限定しなくてもいい。
コミュニティ運営をしていて、「お客様」から少し遠ざかった場所にいる心地よさを感じています。もちろん、運営者として会費を預かってするべきことはするけれども、メンバーの方は「お客様」ではなく「仲間」というイメージでいます。
また、「税理士だから税金のサービスを」などと頭でっかちにならなくても良いと感じています。私は顧問のお客様と税金以外の話もします。先日は、私が少し提案させていただいた税金とは全然関係ない戦略(販路関係)を実行してくださった社長がいて、嬉しくなりました。お役に立てられれば別に税金だけじゃなくても良いと思えました。
本来、人と人との関係は与え、与えられだと思うんです。そこに便宜的にお金が介在するだけであって。
やるべきことはきちんとやるし、やってもらう。
そのうえで、
お客様なんだから◯してあげて当然、
お客様なんだから◯されて当然、
とぱきっと割って考えるのではなくて
ときにはどちらがお客様なんだか分からくなるくらいの
グレーな関係のほうが、かえって良好な関係を長期的に築けると考えています。
編集後記
連休1日目は、息子の様子を見に。
毎日自炊しているようなので、敢えて外食しました。
どんどんたくましくなっていきます。
2日目、3日目は姉が遊びに来てくれたので
鎌倉三昧。
気になっていた地中海料理やさんと、
大好きな葉祥明さんの絵本美術館にも行きました。(もう4回目くらい?)
しばし、素敵な絵の世界に癒やされました。
最近のあたらしいこと
地中海食堂セベリコ
Cafe kokope