週末、一つの映画を見ました。

『きっと、うまくいく』という映画です。

(プライム会員でしたら無料で見ることができます)

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舞台は20年くらい前のインド。

日本とは比較にならないほど厳しい学歴競争が繰り広げられていたインドのエリート工科学校での

男子学生たちの話です。

登場する男子学生のひとりが本当に魅力的で。

「良い大学を出て、良い就職先を見つけて高収入を得る」

と意気込む学生たちの中で、純粋に「学びたい」という気持ちで入学します。

当然のことながら周りの先生や、学生たちと合わないのですが、

次第にその純粋さに周りが変わっていくというストーリーです。

この「学びたい」という気持ちこそが学ぶことの本質なんだな、とあらためて気付かされました。

笑いあり、泣きありのお勧め映画です。

「脅し」「恐怖」では人は深く学べない

この映画に出てくる主人公以外の学生たちは常に親や教師から

「良い成績を取らないと、良い就職先を得られない(=収入を得られない)ぞ」

脅され続けられます。

私のとある知人(高学歴な方)は子供のときに親から、

「(ホームレスの方を見て)勉強しないとああなるぞ」

と言われ、怖くなって勉強したと言っていました。

私はこのことを聞いたときに、違和感があったのですが

そのときはその違和感を言葉にできませんでした。

でも今になって分かります。

人は、「脅し」「恐怖」では深く学べないということです。

この映画の中でも、一日16時間以上勉強している学生がいますが

ただ純粋に学びたい主人公には勝てません。

結局周りからの圧力である程度「お勉強ができる」人になったとしても、

その先は行けないということだと思います。

予想できる未来を与えてはいけない

教育全般に言えることかもしれませんが、

親や周りが、学ぼうとしている人に対して「予想できる未来」を与えてはいけないと思っています。

例えば、この映画に出てくるエリート学校の先生たちは

「ここを出ればどこにでも就職できるし、高収入を期待できる。高級な時計や家も買える」

みたいなことを吹いて回るのですが、

学んでいる人にとって予想できる未来があるって面白くないことではないでしょうか。

「高収入を得られる」のは得ていない人から見たら魅力的かもしれませんが

得た途端に「こんなものか」で終わる気がします。

人から与えられたゴールは、得た途端に色あせます。

そう考えると現在の日本の学校でのお勉強もこれに似ています。

英語学習要項は「グローバルな人材を目指して」などと書かれています。

グローバルな人材(って何なのかよく分からない)

になることが英語学習の目標と決められているなんて、本当につまらないと思います。

「学ぶこと」は本来非効率なもの

「生産性」「効率性」は学ぶこととは対極にあるものだと思っています。

学ぶことって本来すごく非効率なことではないでしょうか。

この映画の主人公は友人のためにラジコンを改造するなど時間をかけて、楽しんで学んでいます。

授業での発言も本質をついていて先生に叱られ、

成績を上げるための「ショートカット」は無視しています。

(それでも学年トップというのがにくい)

そもそも先程書いた「ゴール」(予想できる未来)があるから皆ショートカットを

考えるのだと思います。

ショートカットしてても深く学べませんよね。

学ぶことは本来「知りたい」という気持ち、つまり「好奇心」がなければ続けられないし、

時間がかかって当然だと思っています。

そう思ってゆるく長く自分の好奇心に従って

生涯学習していきたいと感じられる映画です。

 

編集後記

週末は、書籍の原稿チェック、確定申告の大詰めなど。

 

最近のあたらしいこと

映画『きっと、うまくいく』

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