自分にとって価値のないものには1円でも使いたくない。お金の使い方は生き方そのもの
3/152019
カテゴリー:お金の考え方
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どこにお金を使うか
去年40歳になって、人生の折返し地点ということでいろんなことを考えるようになりました。
その1つは、お金。
小さい頃からお金について積極的に語るのは良くないといった考え方を植え付けられてきたせいか、
なんとなく考えるのを避けて通ってきました。
でもお金の付き合い方って生きていく上ですごく大事ですよね。
今までは「どうやって稼ぐか」「どうやって貯めるか」
といったことばかり考えていましたが、
それと同じくらい大事なのが
「お金の使い方」(どこにお金を使うか)
だと気づきました。
お金の使い方は生き方そのもの
お金の使い方は生き方そのものだと思っています。
お金の悩みが尽きない人が多いですが、それはつまりは生き方が定まっていないからだと思います。
生き方が定まっていくにつれお金の使い方も定まっていきます。
ただまあ、綺麗事だけではうまくいかないのも事実で。
先日出会った方が
「お金だけで人は幸せになれないけれど、お金は人を不幸にはしない」
と言っていて、一理あるなと思いました。
そんなあって困らないお金、大事に使いたいですよね。
たとえ1円でも自分にとって価値のないものにはお金を落とさないようにしたいです。
このような考えのために日々行動していることを書きました。
金額で考えない
ちょっと上の説明と矛盾する部分もありますが、
お金の使い方を確立するには、「金額で考えない」ことが大切だと思っています。
お金を出す・出さないは自分の価値基準で決めましょう。
私はスーパーの有料レジ袋は払いたくないので必ずマイバッグを持っていきます。
レジ袋は1袋3円。
「そのくらい出せばいいじゃん、ドケチ〜」
と思われるかもしれませんが^^;
レジ袋は私にとって3円の価値はありません。
というか、タダでもほしくありません。
環境に良くないものをもらう意味も感じられませんし。
その一方で、多少高くても自分にとって価値があると思った
本、IT、セミナー、大切な友人・家族とのお出かけ、趣味グッズ
などは金額にかかわらず即決します。数万円でも、数十万円でも。
3円だろうが数十万円だろうが自分の価値基準で決めるのがポイントです。
当たり前を疑う
「みんなが払っているから」「普通このくらいかかるから」
といった「当たり前」を疑うようにしています。
去年その「当たり前」を疑ったことにより、定期的に支払っていたものをいくつかやめました。
- 年間の専門雑誌購読
- 新聞購読
- 大手通信キャリアとの契約
- 業界団体の会費
- ATM手数料(ほぼキャッシュレスにした)
なんとなく契約をはじめて、毎月支払っているものは要注意です。
0ベースで「自分にとって価値があるか?」をいま一度考えてみると
なくなっても影響のないものが出てくるかもしれません。
○○会費、○○拠出金、○○協賛・・などのよく分からない支出も気をつけたいですね。
したり顔で慣行的にしれっと請求してくる団体には要注意です。
自分が払ったお金のその先を想像する
なるべく自分が払ったお金のその先を想像できるところにお金を落とすようにしています。
先日、写真撮影をしてもらいたくてWebで探しましたが、
組織でやっているところではなく顔の見える個人の方にお願いすることにしました。
個人であれば、私が支払ったお金がダイレクトにその人に貢献できるわけで、
その先を想像できます。
もちろん、そのときも金額では選ばずに「お願いしたい人か」を基準に選んでいます。
一方で大企業や大手業界団体などお金のその先がよく分からない
(もしかしたら既得権益者の懐に入っているかもしれない)
ところへはなるべく落とさないようにしています。
これも価値基準の一つ。ちょっとしたことかもしれませんが
こういったこだわりを持つことで自分なりのお金の使い方が確立されていきます。
まとめ
お金の使い方は生き方そのもの。自分にとって価値のないものには1円でも使いたくない。
ともすればドケチ的な考え方を書いてみました。
お金と同様、時間についても同じことが言えますね。
お金・時間の使い方は自分なりの価値基準を持ち、メリハリをつけることが大事です。
編集後記
昨日は、執筆を中心に。
税理士受験に関わる記事なので昔使っていた教材を探してみたのですが・・
どうやら引越し時にすべて捨ててしまったようです(泣)
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