何かをググるとき、

「◯◯ 分かりやすく」

「◯◯ 簡単に」

という検索ワードをよく見かけます。

 

Amazonの書籍レビューでも、

低評価の理由として「分かりにくい」

というコメントが多いです。

 

分かりやすさが求められてる時代なんだなあ、

ということは理解しつつも

わたしは「◯◯ 分かりやすく」

とは検索しません。その理由を書きます。

※分かりやすさの功罪について痛烈に書かれた本

「そんな簡単に分からない」と思うから

「分かりやすさ」が求められていることは分かっていますが(多分)、

そもそも

「そんなに物事って簡単に分かるもの?」

という疑問があるんです。

そんな簡単に分かったら誰も苦労しないよ、とも。

 

わたしは税金の専門家ですが、

他の分野について全くもって普通以下です。

 

何かを調べたかったら、その分野の専門家

の発信を見たり、本を読んだりして少しでも理解を

深めようと思いますがそこで

「分かった」なんて境地にはならないですし、

簡単になれるとも思えないです。

専門家の方はそこまで辿り着くのに何年も、何十年も経験されてきているのですから。

 

こういった

「簡単に分からない」

という気持ちがあるから、

「分かりやすさ」なんて求めないし、求めるのはおこがましい

と思っちゃうんです。

 

大切なことを削ぎ落とすから

分かりやすさだけを追い求めると、

大切なことを削ぎ落としてしまうから、という理由もあります。

 

例えば

そこに辿り着くまでに

論理的な思考が必要であるに関わらず

結論だけ見てしまうような場合ですね。

 

結論はわかりやすいけど、

それまでの経緯や歴史、根拠を整理するのは

正直面倒。

だから、分かりやすい結論だけ見て

分かった気になるのは危険です。

 

例えば税金だと、「◯◯は経費になる」とか。

人に関して言えば、「◯◯は法を犯したから悪人だ」とか。

 

だから、

なるべく私は分かりやすい結論に

反応しないようにしています。

 

分からないことは分からないままでいいと思っているから

そもそもすべてのことについて「分かる」必要ってあるんでしょうか。

 

仕事や勉強についてはある程度「分かる」ことはできますが、

特に難しいのが人間関係ですよね。

 

よく、

「◯◯(家族など)のことはすべて理解してるし、私のことも理解してほしい」

「周りに共感してほしい」

という意見がありますが、

逆に息苦しいと思います。

 

自分のことだってきちんと分かっていないのに、

他人のことを分かるなんて無理だと思うんですよね。

 

「この人こういうとこ理解できないな〜ま、いっか」

くらいな感覚のほうが

人間関係はうまくいくのではないでしょうか。

 

まとめ

「◯◯ 分かりやすく」という検索ワードを見るたびに

違和感があったので、思うところを書いてみました。

 

わたしも発信する人間ですので、分かりやすさはもちろん意識しています。

それでも特に税金のようなそもそもが複雑なものを

分かりやすく伝えるのは限界がありますし、

「分かりにくい」と思われることがあったとしても

そこはある程度割り切っています。

 

編集後記

昨日は、約4ヶ月ぶりに美容院へ。

癖っ毛がすごいので、矯正をかけてもらって

すっきりしました。

 

最近のあたらしいこと

オー ト ウー (O to U) 元町のパン屋さん

altoyo 元町の食器屋さん

良いお皿が欲しく、有田焼の好みのものをゲットしました。

« »