私が勝手に定めているSNSの投稿ルールとして、

  1. ネガティブな投稿はしない
  2. 議論に参加しない

があります。

1.は言わずもがなですね。

誰かが見て気分が悪くなるような投稿はしても意味がないと思っているのでしません。

今回は2について書こうと思います。

「参加しない」と断言しましたが、

人の感情抜きで考えられるもの(例えばITの操作方法等)については

情報交換をすることはあります。

とはいえ、基本的には議論には参加しません。

もしネガティブなコメントを受けても、スルーします。

その理由を書いてみます。

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SNSでは背景・前提が食い違っていることが多いから

一番の理由がこちらです。

言葉の一部分だけ切り取り、その背景や前提を

確認せずに批判することは無意味だと思っています。

SNSを見ていて、

「この人何言ってるんだろう!?」

と思う人が仮にいたとしましょう(自分の今までの経験に照らすとおかしいと思ったとする)。

しかし、その人がどういった背景・前提で意見を述べているかなんて

誰もわからないですよね。

もしそういったことを理解しようとしたら、

その人の今までの投稿を見る必要が出てきますし、

仮に見てもそれでその人をすべて理解できることなんて不可能です。

背景・前提を理解しないままやり取りされる議論は

お互い疲弊するばかりと考えています。

短文で伝えられる自信がないから

あとは単純に、私は短文で伝えられる自信がないから、というのもあります・・。

このようにブログで長々と書いていくことしかできません。

短文で自分の意見をまとめられる人はすごいと思います。

私の思惑とは裏腹に、世の中、どんどん短文化されていっています。

先日Webでとある記事を読んでいたら

コメント欄に、

「長い!ダラダラとした文章」

と書いている人がいました。

その記事は4ページほどでした。

4ページで長いと言われてしまうとは・・本が売れない時代なのがわかります。

わかりやすさの落とし穴

世の中は「わかりやすさ」がどんどん重視されるようになっています。

本よりもネット上の有名人のコメント、気軽に見ることのできる動画が人気です。

怖いな、と思うのが物事のほんの表面をなでているだけなのに

「分かったつもり」

になってしまうことです。

特に、「人」について「分かったつもり」になるのが一番害があると思っています。

SNSに投稿している内容は、その人のほんの一部分ということを忘れがちです。

本来、人間関係を構築するのは泥臭いし、時間がかかるし、面倒なものです。

ですので、140字でしか表せない世界の中での議論

は実りのないものだと思って避けています。

SNSでつい感情的になってしまいそうになったら、

「建設的な議論ができるだろうか?」

「この時間を他の貴重なことに使えないだろうか?」

と一歩踏みとどまってみることが必要ではないでしょうか。

 

編集後記

昨日は、非居住者の方からの単発のメール相談対応を。

なかなか今の状況では自由に海外と日本を行き来できずに

困っている方も多そうです。

 

最近のあたらしいこと

Netflix 2人のローマ教皇

とあるセミナーを企画

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